全てアウトプットから始めよう

インプットしないとアウトプットできないというのは嘘だと思う。
何かやりたいなら最初にアウトプットを心がけるべき。
「クオリティの低いものしかできない」といわれるかもしれないが、クオリティが低いものができるということがわかれば、次に「どうすればクオリティを上げることができるか」という命題が生まれ、そこからがようやくインプットの段になる。
まずはアウトプット、それからインプット、そうすれば完全に無駄なインプットをしなくても済むようになるし、何かしらは結果が出る。
いきなりインプットを頑張ると、何も生み出せないままで、そこで力尽きたり、頭でっかちで行動にうつれなくて何にもならなくなったりする。
時間の無駄だろう。

ビジネスホテルみたいな部屋の作り方

ビジネスホテルの全く無駄のない感じが好きな人は多いと思う。
それにしてもなぜあれほどまでに無駄のない構成が可能なのか。
簡単に言うと「やることが決まり切っているから」というだけだ。
ふつう、人の部屋が散らかったり、無駄が多かったりするのは、やることが決まっていないからだ。
完全に決まったことしかやらないならビジネスホテル並のスッキリ感になるだろうが、それが不可能だと知っているから、あの割り切った心地よさを感じることができるのだろう。

情報はGmailではなくエバーノートにためたほうがいい三つの理由

GoogleのGmailは検索に強いと思っていた。
だから、なんでも情報をGmailにぶち込んでいたが、実はエバーノートの方が個人的な使用用途に関しては使いやすいということがわかってきた。
まず、前提としてエバーノートを使うのがモバイル中心であるということ。
次に、オフラインでもローカルにあるデータなら検索がかけられるということ。
そして、ノートをとろうと思って書いた情報しか入っていないということ。
大きくはこの三つ。
まずモバイル中心であることに関しては、要はiPhoneでしかエバーノートを使わないということ。
適当なメモとかをテキストで取って、Dropboxに保存するアプリも良かったが、データが溜まってくると検索がかけられないことに気づく。
エバーノートならデータ内の文字列まで検索してくれる。モバイルでもすごいスピードなので何の問題もない。
次にオフラインに関して。
Gmailでも細かいデータ内部のテキストは検索可能だか、それをモバイルでやろうと思うと、一度ネットに繋ぐ必要があったので、面倒だった。検索がいくら早くても、そこに至るまでが長いと辛い。
最後、ノートをとろうと思った情報しかないというのは、自分が意識的にためようと考えた情報しかない、つまり、他人から届く情報がないことを意味する。
例えば、メールマガジンとかをGmailでとっていると、「iPhone」というキーワードを入れるとメールマガジンのデータも一覧される。だからいちいちメールマガジンをエスケープできるようにしておかないといけない。
それがWeb上だけならなんとかなるが、スマホなどのデバイスで設定するのはかなりきつい。そもそも閲覧アプリに機能がなかったりするし、面倒くさい。
シンプルに情報検索、情報編集ができるエバーノートの純正アプリが結局最後に残った。

人は嬉々としてやれることしか続けられない

底辺YouTuberがなぜ底辺のままかと言うと、サラリーマンの労働のように動画を作っていて、楽しくてしょうがないことをしてないからだ。
お金が欲しいのはよくわかる。誰だってお金がないよりあった方が良いだろう。
しかしお金は結果としてついてくるものであって、最初からそれを目指しても手に入らないのだ。
特に何かを表現したり作ったりすることはそうとしか言いようがない。
サラリーマンだとこの感覚になれないかもしれない。なぜならサラリーマンは労働時間=賃金という中で生きていて、それが骨の髄まで染み付いているからだ。
最初からお金目当てで働こうが、何を考えていようが関係なく、決められた仕事を時間内でしっかりやるだけでお金がもらえる。
しかし何かを表現したり作ったりする人はこの考えでは続けられないし、お金を生み出せない。
いくら時間をかけようが、見る側には知ったこっちゃないからだ。
「これなら俺でもできる」と人のマネしてお金を稼ごうとしても、すでにあるものの劣化版をわざわざ見たがる人はいないし、どれだけ続ければウケるかわからない状況で「こうすりゃええんやろ」とサラリーマン的な労働感覚でやってもどうにもならない。宝くじより当たらないと思う。
簡単にいうと、そういう人はものを作る段階に達していないから辛いだけ。やめた方が良い。
人は誰に言われなくても(むしろ否定されても)勝手に嬉々としてやれることしか続けられないのだ。
「好きなことで生きていく」とはそういうことだ。何度も言うが無いならやめた方がいい。

整理整頓の方法は性格によって二つにわけられる

整理整頓の方法は性格によって大きくは二つにわけられる。
根の部分がきっちりしている人は、整理整頓に情熱を傾けやすいため、うまいこと整理整頓の流れを作れば、物を多く所有していても整理整頓が可能。
おおざっぱな人は物を持たず、整理整頓をしない整理術にするのがいい。断捨離とかいわれるやつ。
きっちりしている人が整理整頓に悩むことはないと思われそうだが、違う。
きっちりしている人は勢いで部屋を綺麗にしても続けられない自分が許せないので、そもそも行動しない事が多い。頭でっかちのめんどくさがりが多い。
おおざっぱな人は、出したら出しっ放しというタイプではなく(きっちり人でも出しっ放しはいくらでも存在する)カテゴリを考えて物を置かない、こだわりの無いタイプと言った方が良い。
例えば、シンク内にキッチンペーパーと食べ残しを一緒に投げ込んでいたり、油ものを食べた皿の上にあまり汚れていない皿を乗せたり、ゴミ箱に袋をかけず水気のあるものを放り込む、という事が平気でできてしまうタイプ。要は行動が及ぼす後々の大変さを想像しない人がおおざっぱに分類される。

まとめると
ということ。

さよならiPhoneとジョブズ

iPhone6はもう「フェーズ5」に入った?Appleで繰り返されるイノベーションと衰退の歴史【連載:村上福之】 - エンジニアtype
気づいていたし、なんども冗談として言ってはいたが、誰もそう言わないので実感が無かった。しかし上記の記事を読んで、改めて「ああ、そうか終わったんだな」という気持ちになれたので言いたい事をぶちまけておく。
だってドラゴンボールないし。

そう、誰が何と言おうと、ジョブズは世界を変えた。
ジョブズがいなければウィンドウズはもっと酷い仕様で作られていただろうし(そもそも無いかもしれない)携帯も無駄機能満載の全く何の喜びもない惰性商品であふれかえり、音楽を聴くために多種多様な意味不明な形状のデバイスを持ち歩かなければならなかっただろう。
いや、ほとんどのものがその形では無かったはずだ。


スカリーは深刻な病に冒された。アイデアを出せば作業の9割は完成だと考える、そして考えを伝えさえすれば社員が具体化してくれると思い込む病だ。
しかし製品に発展させる中でアイデアは変容し、成長する。
素材にはそれぞれ不可能な事がある。工場もロボットもそうだ。だから製品をデザインする時には5000ものことを一度に考える事になる。大量のコンセプトを試行錯誤の中で組み替え、新たな方法で繋ぎ、望みのものを生み出す。新しく現れたものを元にしてすべてを捨て最初から作り直す。そのプロセスこそがマジックを生み出す。 
ロケットを打ち上げてすぐの頃は少し方向を変えるだけで後から大きな違いになる。正しい方向を見極めるには人類が生み出してきた優れたものに触れ、自分のしている事に取り入れることだ。「優れた芸術家は真似る、偉大な芸術家は盗む」だ。Macが素晴らしいものになったのは、別分野での豊かな経験が優れた開発者達によって取り入れられたからだ。コンピュータを超える視野の広さがなければ作る事はできなかっただろう。
私は自分が正しいかにはこだわらない。成功すればなんでもいい。私は何かを強く主張していても反対の証拠を見たとたん180度意見を変える。そんなのはかまわない。実際よく間違うが、最後の決断が正しければ良い。
 上記の映像の発言からうかがえる、鬼気迫る製品への集中力。
これだけ製品に対して思いを持ち、かつ優秀な人というのはそういない。製品と、それ以上に開発のプロセス、そこからの学びを愛していた。
そう、いかなる時もデコレーションでは到達できない場所へ行くため必死でもがき続けていたのだ。だから確実に言える事は、いくら有名デザイナーを雇ってももう二度とあの頃の熱狂は訪れない。そのデザイナーは同時に5000のことを考え、新しいもの生み出そうともがいてはくれない。

iPhoneがAndroidを真似してどんどんダメになっていっている今、90年代終わり頃の酷いPCしかない状況が思い出される。
ジョブズがAppleにいなかった時代のPCラインナップはシャレにならないくらい本当に酷かった。
今はとにかくMacBookでも持っておけば安心できる時代になったが、こんな夢みたいな時代はあの当時信じられなかった。
かつてのPCは酷いデザインのMac(ユーザーは印刷所の対応を考えているデザイナーと狂ったようなマカーだけ)と、よくわからないメーカー製のまったく使わない無駄ソフトで一杯のカスタマイズWindows、あとはショップブランドか自作、という時代だった(Windowsは大して変わってないか)。
カラフルなiMacが登場して、その閉塞感を打破した。 今では醜悪に感じるあのカラフルアクアデザインも、あの台所のゴミ箱が並んでいるようなPC時代を変えるために必要だったのだ。その後、目的を果たしたiMacはユーザーが飽きて去っていく寸前で一気に色を無くし、普遍的なデザインを目指すようになった。

ジョブズが生きていれば、iPhoneも同じ道を辿るはずだった。
革新性を目指さない、安定と、落ち着きと、美しさを突き詰めていく、それ以上なにも手を入れられない、なにも引く事のできない完璧さを追求するデバイスになるはずだった。MacBook Airのように。
意味不明な16:9に手を出してそれまで美しいレイアウトだったアプリの画面比率をメチャクチャにしたり、片手で使うように考え抜かれてデザインされたアプリを巨大化で全部ドブに捨てるような事はしなかったはずだ。革新性、革新性と、言葉だけで何とかなるならジョブズは5000ものことを同時に考える必要なんてなかった。
iPhoneもやがて、ジョブズ復活前のMacと同じように、不細工で使う人が限られたデバイスとなっていくのだろう。

さよならiPhoneとジョブズ。
今ある美しいデバイスが壊れるまで大事にしようと思う。

iPhone6とプラスがターゲットにしたユーザーとは?

iPhone6、iPhone6プラスがターゲットにしているユーザーは、フェイスブックもTwitterもメールもチャットもしない、メモ機能も使わず、Webで検索をしない、つまり文字入力を全くと言っていいほどしないユーザーである。
流れてくるtweetを読むだけ、音楽を聴くだけ、映像、画像、文書を読むためのアプリを空いた手でタップするだけのユーザーがターゲットになっている。
完全にビューアデバイスとして割り切った使い方ができる人がターゲットになっている。それ以外はほぼ切り捨て。(やりたきゃやれよ的スタンス)
入力デバイスとしては論外なので、どうしても入力作業がしたければ自宅PCを使うべきである。フリック入力なんてもってのほか。滑って落とすに決まっている。
机の上に置いて軽快にソフトウェアキーボードを叩けば、ガタガタと揺れ動き、出っ張ったカメラの塗装が禿げる。

どうしても文字入力したいなら両手持ちで頑張ること。
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